理系大学院生のリアルな日常

某旧帝大でバイオ系の研究をする理系大学院生がポジティブに生きる様を書き綴る。"人生や研究生活を楽しくする小さじ一杯程度のからくり"をお届けしたい。

浪人時代をふと思い出して 〜自分の人生における刺激的な隠し味がぶち込まれた〜(1)

どうも、コーディーです!

 

 

 

前回書いた記事が箕輪さんを含む数名の方々にリツイートしていただいたおかげで初めてバズりました。。。

 

 

 

cody-oncology-research.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

ありがたいです。

 

 

 

これを機に定期的に更新したいなと思うようになりました。

 

 

 

 

 

気ままにやりますが読んでいただけたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

  

さて、今回の記事の本題である「浪人」に移ります。

 

 

 

多くの人は浪人という言葉を聞くとマイナスなイメージを持たれるかと思います。

 

 

 

同時に大学受験に失敗したことを連想される言葉でもありますよね。

 

 

 

それはたしかにそうだと思います。

 

 

 

でも、浪人時代を経験した僕が当時を振り返ってみると、

 

 

 

 

 

「浪人時代があってよかった」

 

 

 

 

 

というプラスなイメージしかないのです。

 

 

 

 

浪人を経験していない人からすれば、浪人なんてしない方がいいに決まってるというところに収束すると思いますし、浪人を経験した人の中にも浪人なんてしない方が良かったという人もいるかとは思います。

 

 

 

 

実際、浪人を経験した友人でそのようなことを言っている人は少なくはないです。

 

 

 

 

 

まあ、浪人時代を振り返ってその良し悪しを決めるのは、結局は浪人したことで得られた結果がどうであったか、今がハッピーかどうかに依存するとは思いますが…。

  

 

 

自分は浪人した結果、第1志望の大学には受からず、結果的に第3志望の大学に行くことにはなりましたが、その大学で有意義な時間を過ごせたので満足です。

  

  

 

 

 

そんなところで今回はそんな浪人時代を思い返しながら語ってみようと思います。

 

 

 

 

まずは浪人に至るまでの経緯からいきますか。

 

 

 

 

高3の大学受験

 

 

自分の高校3年生までの人生はただ目の前のことをがむしゃらになんとなく頑張ってきた人生で、頑張ったことは大体どれもそれなりの成果を得られている(ただ一つ、最後の最後で失敗してしまった高校受験を除く)人生でした。

 

 

 

そんな中迎えた大学受験、当時第1志望だった大学の合格判定はマーク模試、記述模試共にC,D判定しか取れていない、まさに絶対絶命といった状況でした。

 

 

 

国立大学の第1関門として立ちはだかるセンター試験ではすべての教科で今まで模試で取ったベストの点数を出せばいけると考えていた僕は、自分に「ベストの点数を取るしかないんだ」と言い聞かせて相当力んだ状態で本番を迎えました。

あとから振り返ればそれがいけなかったんだな~と思いましたね。 

 

 

 

 

そして、センター本番を終えていざ自己採点をしてみると、あれ、これは本当におれの問題用紙か??と思うほどの点数。

 

 

 

まさに"事故"採点となってしまいました。

 

 

 

結果、センター模試等の結果を含め過去最低点を本番で更新しました。

 

 

 

私立大学の受験は家庭の事情で禁止されていたため元々出願しておらず、だいぶレベルを下げて国立大学の前期、後期共に出願しました。

 

 

 

出願した大学には全くと言っていいほど行く気が起きなくてあまりにも勉強への熱が入らなかった二次試験前の期間は本当に苦しくて地獄のようでした。

自分がその大学に通っているビジョンが浮かばなかったのです。 

 

 

 

そして前期の国立大は二次試験での逆転合格をかけて挑んだものの不合格。

後期の大学はA判定をもらっていて、試験内容は面接のみであったため受ければおそらく受かったものの、両親に浪人させてほしいと泣きながら頼み込みました。

 

 

 

 ありがたいことに、もう絶対に次はないぞとの言葉とともに浪人の許しを得ました。

 

 

 

 

そこから、長いようであっという間な浪人生活がスタートしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

長くなるので、続きは後編で…!